川 村 英 司 レクチュア ・ コンサート 2004 ‐ 2005年度 第2回
2005年1月22日 15時00分
於:Studio Virtuosi

 Robert Schumann 作曲 "Liederkreis" Op. 39 

「アイヒェンドルフの詩による歌曲集」 作品39番

バリトン:川 村 英 司

ピアノ:東 由 輝 子

 今回はシューマンの有名な歌曲集の一つ「アイヒェンドルフの詩による歌曲集」作品39番を取り上げました。私自身も何度かリサイタルのプログラムとして演奏しましたし、メッゾソプラノの佐々木成子さんとジョイントで「シューマンの夕べ」を数回した時にはヴェルバ先生のご指示でこの歌曲集をより女性に適した歌、男性に適した歌を分けて替り番に歌いました。その折に第3曲の「森の対話」は若者を僕が、ローレライの魔女を佐々木さんというように二人で分けて歌いました。本来は魔女に魅せられた若者と魔女の対話ですので、必ずしも一人で歌う事は無いと思います。

 ドイツ語で言うところのZwiegesangとかZwiegespraech(二者間の歌とか語り)はシューベルトやブラームス、ヴォルフなども作曲しているように対話になった詩に作曲した歌曲(二重唱曲とは違います)は結構多いので、時には試みとして分けて歌うことも曲を理解する上では良いことと思います。母親と娘の対話は同じ女声で歌っても母親らしく、また娘らしく歌うことは結構難しいものだと思います。
 有名なシューベルトの「魔王」は語り手、父親、熱にうかされている子供、子供を誘惑する魔王の4人の性格を表現しなければ、つまらない歌になってしまいます。
 シューベルトの「死と乙女」のように二人の性格が甚だしく違う曲は表現しやすいと思いますが、また難しさもあります。女性の心理状態をどのように表現し、男性の状態を対話としてどのように表現するか、歌う身にとっては楽しくもあり、困難さを感じる時もあります。

 それゆえに私はブラームスの「永遠の愛」は一度も歌ったことはありませんし生涯歌わないでしょう。何故ならば、この曲の一番大切な表現の頂点は女性が歌う言葉だからです。「鉄や鋼は熔けてしまうけれど、私たちの愛は変ることなく、永遠に続くでしょう!」と言う一番大切な言葉を女性が歌っているので、僕としてはこの曲を避けてしまうのです。勿論一人で歌っている曲でも、女性の心理だと思うとその曲は避けて他の曲をプログラムに選んでしまいます。 また「詩人の恋」をプログラムとして女性に選んで欲しくないですし、逆の立場で「女の愛と生涯」を例えテノールのボストリッジでも歌わないでしょう。

 この僕の考えには反発する歌手は幾らでも居るでしょうが、僕は僕自身が表現しやすく、お客さんがより満足してくださる曲を選びたいのです。

 勿論二人の対話を表現してみたいと言う意欲を持つ歌曲はいくつもありますので、誤解されないようにお願いいたします。どちらがより良い表現になるかどうかはお客さんが決めてくれることだと思いますが、どちらも試みて良いことと思っています。学生には分けて演奏をさせてみる事は、曲の理解を高める上でも良い勉強になると思います。

 この歌曲集 "Liederkreis" はシューマンの「歌の年」と言われる1840年に作曲され、1842年8月に初版(参考資料1[表紙])がヴィーンのT. ハスリンガー社から出版されましたが、この時には第1曲目の曲が "Der frohe Wandersmann"(後には作品77の第1曲目として出版されました。1840年6月22日作曲)でしたが、1850年4月にヴィストリング社から出版された再版 "Neue Ausgabe"(参考資料2[表紙])で現在我々が知っている "In der Fremde" (異郷にて)と入れ替わりました。

 この歌曲集に作曲された詩は、物語 "Aus dem Leben eines Taugenichts" から第1曲目の詩 "Wem Gott will rechte Gunst beweisen,"(初版の第1曲)、物語 "Viel Lärmen um nichts" から第1曲目(再版の第1曲目)の詩(In der Fremde)を、小説 "Ahnung und Gegenwart"から4つの詩(3、4、9、10番)を、"Dichter und ihre Gesellen"から1つの詩(6番)をシューマンは選んでいます。

 ローベルト・シューマンは1840年5月15日にクラーラ・ヴィーク宛にライプツィッヒから次のような手紙をしたためています。

・ ・・・・僕はまたまた多くの曲を作曲しています、時々全く不気味に思います。ああ、

しかしほかのことは出来ません、僕はナイチンゲールのように死ぬまで歌っていたい。

アイヒェンドルフは12曲です。・・・・ ドイツ語は(参考資料3)を見てください。

 

 この歌曲集は所謂Liederzyklus、ベートーヴェンの「遥かなる恋人に寄せて」、シューベルトの「美しい水車屋の娘」、「冬の旅」、シューマンの「女の愛と生涯」、「詩人の恋」等とは違い、自由裁量の歌曲集であり、前後の繋がり、関連はありませんので、1曲づつ話と演奏を混ぜて進めても良いと思いますが、最初の4曲 Nr. 1 In der Fremde., Nr. 2 Intermezzo., Nr. 3 Waldesgespräch., Nr. 4 Die Stille.を続けて歌ってから話をいたします。

 

Nr. 1 In der Fremde.  5月4日作曲 
 この歌曲集の中では第5曲の「月の夜」と並んで有名な曲です。この詩にブラームスも作曲していますが、作曲した年齢がブラームスの方が若く、全く同じ詩でも歌われている人物の年齢が若く設定されていると思うのは僕だけでしょうか?両方を歌ってみますのでお聞きください。(ブラームスを歌い)もう一度シューマンを歌いますのでブラームスと較べてください。まずブラームスは表情記号として Poco agitato
.(参考資料4)( と書かれています。 念のためシューマンは Nicht Schnell です。第2節の始まりの言葉や第3節の最後の行を考えると、皆さんはどのような年齢設定が妥当だと思われますか?しかもブラームスではこの部分が f になっていますが、僕はいささか抵抗を感じます。シューマンの方が僕の気持ちには素直に表現できます。

 シューマンが初版の第一曲に持ってきたDer frohe Wandersmann(参考資料5)と第二曲のIntermezzoを続けて歌ってみます。

 皆さんはどのように感じられますか?僕としては再版に当たる ,,Neue Ausgabe" でIn der Fremdeに代える必要は何であったのかと思います。おそらくシューマンもDer frohe Wandersmannが気に入った曲であったので、作品77として、かの有名なAufträgeなどの曲といっしょに1851年に ,,Lieder und Gesänge" として再度出版しています。

 

Nr. 2 Intermezzo. 5月作曲(5月16日以前)
 この歌曲集はLiederkreisと名乗っていますが、チクルスとは違って前後の関連性が全く無いのが、この1,2曲のつながりでお分かりでしょう。
言葉、詩があっての歌ですので、如何に詩を、言葉を大切にするかで、フレーズィングや息継ぎが変ってきます。ドイツ語特有の分離動詞の扱い方がこの曲では大切です。

Das sieht so frisch und fröhlich
Mich
an zu jeder Stund'.  an|sehenですので原則としてはfröhlichの後で息を吸いません。

 

Nr. 3 Waldesgespräch.  5月1日作曲
 この詩は元々前述の小説 "Ahnung und Gegenwart" の第15章に挿入されている詩です。
 シューマンは自筆楽譜、初版でも再版でも Es ist schon spät, es
ist schon kalt, と作曲していますが、
 小説の中では Es ist schon spät, es
wird schon kalt, です。アイヒェンドルフの詩集では、索引に(1812)と印刷されているDTV社では wird で、Insel社のポケット版では ist で、1996年版のWinkler社では wird で印刷されています。僕は自筆楽譜や初版に従って ist で歌います。この曲は女性と二人で歌う方が容易です。
 この曲は自筆楽譜と初版
(参考資料6-1)は4分の6拍子で、再版(参考資料7-1)から4分の3拍子になりました。又28小節から30小節の歌のメロディーも参考資料(参考資料6-2)(参考資料7-2)のように変りました。

 

Nr. 4  Die Stille.  5月4日作曲
 この詩もEichendorffの小説 "Ahnung und Gegenwart" (Insel社)の第15章に挿入されている詩です。
 第1節の4行目の言葉は Kein Mensch sonst wissen sollt! となっています。シューマンの自筆楽譜
(参考資料8)、初版も再版も全集も sollt ! ですし、DTV社の詩集でも sollt! ですが、Insel社のポケット版では soll! ですし、Winkler社の詩集でも soll! なのです。Wohl! Sollt! と後韻はふんでいませんが、意味するところは sollt の方が僕は良いと感じますので、僕としては自筆楽譜や初版のように sollt で歌いますし、生徒にも sollt! を勧めています。ペーター版は soll! ですが。Clara Schumann監修の普及版(Britkopf&Haertel社)もsollt! です。

 

Nr. 5 Mondnacht.  5月9日作曲
 この曲集の中で一番有名な曲ですし、とても繊細な、綺麗な歌です。
 シューベルトの
pは健康だが、シューマンのpは病的だといわれる外国の先生方がおられますが、この曲ではその言い分を納得したくなります。それ程繊細に表現したいと若い頃は考え努力しましたが、ともすると人間性を忘れ、全く機械的な cresc.decresc.をしたくなるのですが、我々はどんな曲でも人間の声や個性を大切にすることが重要なのですから、人間性や個性のある歌に仕上げることが大切です。声は機械ではないのですし、所謂楽器ではありません。ヴァイオリンなどで演奏するような音楽の創り方をする気持ちにならないことを心掛けなければなりません。
 54小節から55小節に掛けてクレッシェンドが初版
(参考資料9)以降ついていますが、歌詞がstille Landeなので、僕は何となく抵抗を感じているのですが、自筆楽譜(参考資料10)には55小節からデクレッシェンドが付いていて、全く逆な事になっています。又その後のクレッシェンドやデクレッシェンドは記号として書き込んでははオーバーな表現になってしますので自筆楽譜のように何もつけなくとも良いように思います。

 

Nr. 6 Schöne Fremde.  5月16,17日作曲
 歌の頂点となる最後の行は  wie von künftigem
, großem Glück ! が原詩(小説の中、Winkler、DTVの詩集も同様)ですが、自筆楽譜ではwie von künftigem großen Glück ! で初版、再版、とInsel社の詩集がそれと同様になっています。いささか専門的になりますが、ドイツ語では格変化と言うのがあります。シューマンは形容詞が2個ある場合によくコンマをつけずに、最初を強変化し、2番目を弱変化させる形に好んで変えることをしたようです。Insel社の詩集で何故そのようにしたのか想像がつきません。

 

Nr. 7 Auf einer Burg.  日付なし(5月20,21日と書いている本もあります)
 結構歌うには難しく、この曲だけを取り上げてプログラムに入れることは誰もしないのではないかと思われる曲です。息継ぎも結構大変ですし、この曲だけは呼吸を考えて歌ってしまいます。(僕は呼吸を考えて歌うことは殆どありません。よほど長いフレーズを一息で歌わなければならないときは別ですが、その場合でさえ息を吸うのを忘れてしまうことがあるほどなのです。)

 

Nr. 8 In der Fremde.  5月18日作曲
 この曲の伴奏部で1小節目のモティーフ(何度も出てきます。)の松葉印のデクレッシェンドが自筆楽譜では全てデクレッシェンドになっているのです。初版からは閉じたり、個所によって開いたクレッシェンドにしています。
 この曲はパランドで歌うフレーズの音が高いため、支えが上がった感じの声を出さないように気を付けていますが、充分に注意をしていないと上ずった感じの声で歌ってしまいます。そういう意味では難しい歌です。

 

Nr. 9 Wehmut.  5月17,18日作曲
 皆さんドイツ語と日本語訳の両方をよく読んでみてください。
 かつて放送で邦楽の解説というか、獅子が千尋の谷底に子供を突き落とし再びよじ登って戻ってくる間を待つ母親の心理状態を一本の横笛で、しかも同じ高さの一音で表現するという話を聴きました。「一つの音で母親が元気で子供に戻ってきて欲しいという期待、もしや怪我をして上って来られないのではないか?という不安など、色々な心理を表現して吹き続けるので、同じ表現は二度と出来ない、毎回微妙に違ってしまうのです。」という話でした。その話と較べればすごく簡単なことですが、Ich kann wohl manchmal singen, のma-nchmal で伸ばす音にいつも苦労します。「あたかも嬉しいかのように、しばしば歌うことが出来る。」と言うのですが、本当は悲しくても、外側には見せないのだと言うことですので、嬉しそうに聴こえなければなりませんが、憂いを含んでなければなりません。悲しそうにだけ歌うのなら簡単ですが、どう歌えば皆さんに僕が本当に感じている気持ちが伝わるのか苦労をしますし、毎回違った表現になってしまうと思います。
 微妙に違う表現と言えば、例えば僕が Fischer=Dieskau さんの「冬の旅」(シューベルト作曲)その他、同じ歌曲を何度も生の演奏で聴きに行くのは、その違いを聴き分けたいからなのです。その日、その日によって違う微妙な表現の違いを楽しむのです。また試験官としてでも学生がこの言葉をどのような感じ方をして表現したのかを聴いて点を付けるので、私は言葉のわからないドイツ語以外の音楽、歌曲やアリアを採点することは極力避けるのです。
 音楽コンクールで採点する審査員はすごいものだと思います。語学の天才なのでしょう。語学の天才と云えば僕の友人でヨーロッパ5ヶ国語の速記の世界チャンピオンだった人がいます。現在は還暦を過ぎましたが、母国語のドイツ語のみならず、話せる言葉は10ヶ国語ではきかないでしょう。日本語、韓国語、中国語も読み書き、会話もしますし、漢字は僕以上に知っています。今は古いラテン語の書物を読むのに凝っていますが、2年あれば何処の国の言葉でもマスターするようです。その勉強方法は毎朝最低20の単語は覚えるそうですから、その努力たるや、すごいものですが。

 また道草を食ってしまいましたが、細かな言葉の表現の積み上げで、曲全体の表現が出来上がるのです。
 同じ最初の一節を2,3回違う感情で歌ってみますので、違いを確かめてください。どのように感じられましたか?

 

Nr. 10 Zwielicht.  5月19日作曲
 どの曲でも同じことですが、色々な状況、自分の心の中の心理をお客さんに伝えるかが、演奏する者にとって大切な事であり、喜びだと思います。この曲の最初の1行も「夜の帳」がどのように静かに下りてくるか。羽根を広げて大地をすっぽり覆うのですが、その感じ方でテンポも決まってくるでしょう。 LangsamはAndante以下のゆっくりなテンポですので幅の広いテンポを想定できます。

 30数年前になりますが、H. ロイター先生が公開講座をされた時の事です。先生が若い頃この曲の伴奏を有名な作曲家H.プフイッツナーさんが弾き13小節と21小節の伴奏左手の松葉印のcresc.(初版で付きました)(参考資料11)をかなり大きく演奏したのを聴き強い印象を受けたそうです。普通のクレッシェンドと大き目のクレッシェンドを弾いてもらいますのでお聴きください。

 

Nr. 11 Im Walde.  5月20日作曲
 この曲は
ritardandoの多い歌です。シューマンはritard.を書いて、a tempo を書き込まなかった事で有名な作曲家ですので、一般的に彼の作品を演奏する時にはその事を考慮し、何処でテンポを戻すべきか考えなければなりません。この曲では自筆楽譜にはritardandoIm Tempo は記入されて無く、初版(参考資料12)ではritardando だけで、 Im Tempo は書き込まれていません。再版(参考資料13)で初めて Im Tempo が加えられました。
 自筆楽譜では23小節の中頃にimmer langsamer が書かれています。
 まず再版楽譜に忠実と思われる演奏をして、次に自筆楽譜をそのまま解釈した演奏をしてみますので、聴き較べてください。

 

Nr. 12 Frühlingsnacht.  5月18日作曲
 この歌曲集で一番派手と言うか、効果的な歌で、歌曲集の最後の歌に相応しい典型的な曲です。

 曲の順序(プログラミング)について少し述べます。ヴェルバ教授がプログラムを作る時には最後の歌にとても神経を使われました。勿論「グループの最後の歌も聴衆が拍手をしたくなる曲を選ぶように。」といつもおっしゃっていました。「曲目を自由に選べる場合には曲間の調性やそれぞれの曲のテンポを考えた上で最初の曲は楽に歌える曲、間違っても表現が難しい曲を最初には持ってこないように!」とおっしゃっておりましたので、僕がプログラムを考える時の重要な指針になっています。大勢で1,2曲づつ歌うような場合などは曲選びに本当に苦労します。

 シューベルトの3大歌曲集の一つである「白鳥の歌」は、彼の没後に出版社が彼の晩年の歌曲を歌曲集にまとめたものですが、その曲の配列がすばらしく良いといわれています。
 このシューマンの歌曲集もシューマンが配列に気を配ったと思われますし、12曲を続けて歌うにはとてもよい順序です。念のためにクラーラ・ヴィークの順序と言うのがありますので書き加えます。  1. Der frohe Wandersmann, 2. Im Walde, 3. Zwielicht, 4. Auf einer Burg, 5. In der Fremde (Ich hör die Bächlein rauschen), 6. Schöne Fremde, 7. Wehmut, 8. Intermezzo, 9. Die Stille, 10. Frühlingsnacht, 11. In der Fremde (Aus der Heimat), 12. Mondnacht, 13 Waldesgespräch という順序で全部で13曲になっています。

 

質問がありましたらどうぞ遠慮なく。僕が答えられる範囲でお答えします。

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